小檜山博さんの馬の話

斎藤です。6月12日に札幌市内で行われた「馬喰一代」の上映会に行ってきました。
馬と人との間に笑いも盛り込まれた、素敵な映画でした。三船敏郎さん、かっこよかったです。

この日は、札幌観光幌馬車の銀太君に、主催者である「北の映像ミュージアム」さんから表彰状が送られました。
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銀太くんのブログに表彰状の写真が出ています。

その後に行われた作家の小檜山博さんによるトークショーの内容が興味深かったので、皆さんにも知っていただきたいと思います。

滝上の農家で育った小檜山さんの家には馬がいました。映画の中の馬喰さんはぼろぼろの格好をしていましたが、家に来る馬喰さんは革ジャンに乗馬ズボン、革の半長靴、鳥打帽とかっこよく、また、家の馬が売られていくのが寂しいかったこともあり、昔は馬喰になりたかったそうです。

ラーメン30円、葉巻5円、学校の先生の初任給が6000円という時代に、馬は7万~15万くらいだったそうです。しかし今、トラクターが500万~1000万ということを考えると同じくらいですね。
しかし、馬は使い道がたくさんありました。農耕以外にも運搬、乗馬(当時の移動手段)、子どもを産めばその馬を売ってお金にもなる。17~20年くらいは生きるので長持ちします。
また、吹雪で道が見えなくなっても馬は道を覚えていますから、そんな日でも無事に家に帰ることができます。

馬で学校に通っていた子がいたそうです。朝は父親が小5と小2のこどもを乗せてくる。学校についたらお兄ちゃんが馬をつないでえさをやる。帰りは小2の子が兄の授業が終わるのを待って、兄が乗せて帰る、と。

小檜山さんは8歳で終戦を迎えましたが、7歳の時に家の馬が軍馬に取られたとのこと。
無料で持っていかれ、表彰状一枚だけをもらった。中国に行ったらしいが帰ってくることはなかった。
戦争に馬は、そのほとんどが中国へ行き、70万頭行って50万頭が死んでしまったそうです。

ここで私から補足。以前、児童文学作家の加藤多一さんと軍馬についてのお話をした時に、中国から戻ってきた馬はいないと思っていたが日本に帰ってきた馬もいるそうで、今調べているようなことをおっしゃられていました。
ちなみに加藤さんも滝上出身。幌馬車の銀太くんを育てていた、土屋さんも滝上なんですよね。

小檜山さんの話に戻ります。
飼っていた馬の中には、伝貧(馬伝染性貧血)に馬がかかって薬殺処分になった。その馬は食べるのもしのびない、とそのまま丘に埋めたそうです。

長男が、父に高い馬を買ってもらったことがあったそうです。
その馬は丸太の作業中も他の馬が挽けないものを挽けたので、誇り高い気持ちになったとのこと。
滝上では1年に1度、ばん馬大会が行われていました。その馬はばん馬大会で優勝。英雄になるのが生きがいのようだったそうですよ。

小檜山さんに乗馬を教えてくれた馬はアオという馬。裸馬で乗っていたそうです。
成績のよかった小檜山さん、高校に行きたいと家族に言いましたが、うちは貧乏だから、中学卒業後、馬追いにして出稼ぎにだすと言われていたそうです。
ある日サロマの馬市で、周りの人たちが金貸してやるから1ヶ月でもいいから高校に行かせてあげようということになり、小檜山さんは高校へ。それからもなんとかお金をやりくりしながら、2年の夏。もう金がないから中退してくれと親と兄に言われましたが、なんとか行かせてくれ、と頼み込むと、わかった。馬を一頭売ろう。と、アオを売りました。
馬喰が来た時にはみんな泣きながら、父も母も首筋に抱きつき別れを惜しんだそうです。
それから1週間後、いないはずの馬房に馬がいる!と見てみるとアオが戻ってきていました。
20キロ、市街地を2つ通って帰ってきたらしい…。家族の中にはは買い戻そうと言う者もいましたが、そこは馬喰さんに有線放送で連絡し、連れていってもらった。それ以来アオに会うことはなかった…
今の自分がいるのは、アオのお陰でもあるとおっしゃられていました。

このように、馬と人にはたくさんのエピソードがある。
馬によって助けられた、という人がたくさんいる……

小檜山さんの小説やエッセイの中には、馬の話がいくつか出てきますので、読んでみてはいかがでしょうか。

専務理事就任の御挨拶に代えて

ばんえい無くして馬文化無し、馬文化無くしてばんえい無し
 ~専務理事就任の御挨拶に代えて~
                          専務理事 旋丸巴

 ばんえい競馬廃止の危機から二年半。市民運動にまで輪を広げた「ばんえい存続運動」のお陰で九死に一生を得たばんえい競馬ですが、新生ばんえい三年目にして、今、再び、経営難の大波が、この競馬に押し寄せてきています。
 ばんえい応援を主眼として創設された本会も、第一期2年の活動を終えて一段落……と安閑していられる状況ではなく、更なる「ばんえい応援」に向けて、一層のパワーアップ、一層の活動強化を求められる状況となってまいりました。
 しかし、ピンチの時こそが最大のチャンス。
 存廃問題を機に、ばんえい競馬が全国に注目されたように、再び訪れたこの危機こそが、ばんえい再生への本当のチャンスだと、私は確信します。
 ばんえい競馬のあるべき姿を、皆さんと共に、しっかりと考え、その理想に向かって邁進すれば、ばんえい競馬は、かつての活況を取り戻すのみならず、世界に誇れる馬文化として更なる成長を遂げるでしょう。
 「ばんえい競馬と言っても、所詮はギャンブルじゃないか」という批判を投げかけられることもしばしばですが、ばんえい競馬は北海道の歴史を今に伝える文化財産であり、馬と人が共に生きる場でもあります。十勝に息づく馬文化は、ばんえい競馬だけではありませんが、競馬場というスタジアムを基地として、十勝の、或いは北海道の馬文化を全国に、いや、全世界に発信すれば、ばんえい競馬は勿論、馬と人が紡ぐ総ての馬文化の強力な応援団になれる。即ち、ばんえいがあればこそ、馬文化はますますの発展を遂げられると、再び確信します。
 こうした理念を踏まえて、5月17日の当会総会では、更に、馬文化、ばんえい競馬に理解ある新役員を迎え、新体制で馬文化支援を推し進めることが満場一致で採択されました。私しく旋丸も、専務理事という余りにも重い責務を課せられて、内心、冷汗を拭っているところではございますが、しかし、馬が好き、という一点においては人後に落ちない、と自負しております。馬一色、馬のお陰で生きて来た人間として、今こそ馬に恩返し、この素晴しいパートナー達との文化を伝えるために微力ながら奮闘して行きたいと決意いたしておりますので、何卒、宜しくご支援、応援のほど、お願い申し上げます。
 
 十勝の、北海道の、全国の馬達よ、君達の素晴しさを皆さんに知ってもらうために頑張るからね!

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